もう一つの視点

真理は少数から始まる

なぜ子ども達は学校に行けなくなったのか

 近年、不登校の児童・生徒が増加している。 ふと考えるのは、昭和20年代~40年代前半頃までの小・中学校ではどうだったのか、ということだ。体罰(暴力ではない)を交えた厳しい指導が当たり前だった時代、病気や家庭の事情を除いて、不登校の子どもはどれほど存在していただろうか。中学卒業後に目的もなく過ごしたり、非行に走ったりする若者も、今ほど多かったのだろうか。

 もちろん、体罰は現在では法律で禁止されており、実際には許されない。しかし、当時の教育には「厳しさ」があり、それが子どもたちに一定の緊張感や規律をもたらしていたことも事実である。叱られることを通じて、自分の行動を省みたり、我慢や努力を学んだりする機会があった。そうした環境が、わがままや不登校を抑える一因になっていたのではないか。

 教育現場でも、現代は自由や個性の尊重が強く求められるようになり、教師は子ども達を厳しく指導することが難しくなった。自己表現や多様性の名のもとに、叱られる経験や葛藤を乗り越える機会が減り、子ども達は「怒られないこと」「自分の思いが通ること」が当たり前だと感じるようになっている。

 さらに、仕事に追われる教師が、モンスターペアレントへの対応時間を減らすため、子どもに対して遠慮がちになり、結果として放任に近い指導になってしまうこともある。こうした環境の中で育った子ども達は、困難や不快感に直面したとき、それを乗り越えるよりも「攻撃的になる」か「逃げる」かのどちらかを選ぶようになった。

 かつて当たり前だった「叱られること」や「耐えること」が、今の子ども達にとってどれほど遠いものになってしまったのか。それを私たちは、もっと真剣に考えるべきだろう。子どもは、心の奥底では真剣に怒ってくれる人を待っているのだ。