スーパーで焼き芋を買って食べると、ねっとりとした焼き芋ばかりである。「紅はるか」という品種のようだ。かつての主流だった「ホクホク」とした食感を探し求めると、選択肢が失われている現実に直面する。
こうした現象は、焼き芋に限らない。日本には、一度火がつくとすさまじい勢いで広がり、右も左もそれ一色となる「横並び主義」がある。大声・テンション・内輪ノリのバラエティ番組、同じようなダンスをしながら同じような曲を歌うグループ歌手、薄く削った爆盛りのかき氷、学校でのICT教育やプログラミング教育、自治体のゆるキャラ等々、挙げたらきりがない。この「流行への過剰な適応」は、選択肢を奪い、社会の成熟を阻む「不便さ」をはらんでいる。
この性質が最も危ういのは、平時ではなく有事においてだろう。もし社会がひとたび負の方向へ舵を切れば、この「全員で一方向へ向かう力」を止めることは容易ではない。画一化への熱狂は、そのまま集団心理の暴走へと繋がる恐ろしさも内在している。
近年、多様性の尊重が叫ばれている。個人の無秩序な逸脱は秩序を乱すが、社会システムや文化における行き過ぎた画一化は、私たちの生活の彩りを奪い、思考を停止させる。真に豊かな社会とは、主流の影に隠れた「別の選択肢」が当たり前に共存し続ける、厚みのある土壌のことではないだろうか。