「できること」と「できないこと」があるのは、誰にとっても当たり前のことである。計算が苦手な人もいれば、スポーツが苦手な人もいる。しかし、私たちはそうした人を見て「かわいそう」と同情したり、普通に生活しているだけで「頑張っているね」と涙を流したりはしない。それなのに、なぜ相手が障害者であるというだけで、急に「感動」や「同情」の対象になるのだろうか。
誰しもが「できないこと」を何らかの形で補ったり、助け合ったりしながら、当たり前に生きている。その姿を見た周囲の人も、別になんとも思わない。すべての人がそうだからである。
障害者が普通に行動している姿を、勝手にかわいそうだと決めつけて同情したり、安易に感動したりするのは、相手に対して非常に失礼である。障害者は特別な存在ではなく、当たり前の日常を生きているだけである。その姿を見て「感動した」と涙を流すことがどういうことか、よく考えるべきだろう。
3月にはパラリンピックが行われる。差別的な言動は厳に慎まなければいけない。特にテレビの司会者やコメンテーターなど、無責任に言葉を垂れ流している人々は、自らの発言が世論を形成することを自覚し、十分に注意を払うべきである。
ちなみに、「障害者」という表記自体が差別的であるとする主張も存在するが、今回は文科省が特別支援学級について解説する際に「障害のある子供」や「障害者」という用語を用いているため、その公的な表記に準拠した。