もう一つの視点

真理は少数から始まる

衆愚政治をもたらす民主主義

 最近の選挙結果や政治の現実を見れば、民主主義が「ベストな仕組み」などではないことは明白だ。「勝てば何をしてもいい」という多数派の専制を正当化する道具に成り下がっている。

 トランプ氏のような扇動的なリーダーが、どれほど暴言を吐き、自己中で世界を分断し、他国を軍事攻撃してトップを拘束しても、一度「数」を得てしまえば、それが民意という名の「免罪符」になってしまう。

 この不条理は日本も例外ではない。前橋市長選では、一度退いた前職が再選を果たした。また、各地ではハラスメントなどの重大な不祥事を起こした市長が、市長選や町議選で勝つことで過去を帳消しにし、「市民の信任を得た」として居直る事態も起きている。国政選挙で選ばれた政治家達の質はご覧の通りである。彼らにとって選挙の勝利は、道徳も正義も社会常識も無視して「やりたい放題」をするための通行証に過ぎないのである。

 結局、民主主義という器に注がれる中身は、選ぶ側である国民の質に依存している。しかし現実には、知識や思考力、冷静な判断力を欠き、一時の感情や巧みな情報操作で動く「愚かな国民」が大多数を占めている。そのような層に、国や地域の行く末を左右する権力を与える仕組みそのものが、致命的に間違っている。

 日本も、ロシアや中国、アメリカのように、不適切なリーダーを再生産し続けている。社会の規範を底なしに沈めていく今の民主主義は、正義や法を壊すための装置でしかない。

 私は、道徳も正義も踏みにじる今の無条件な民主主義など、無くなればよいと考えている。現実的に多数決を全廃するのが困難だとしても、少なくとも「選んだ後はすべて本人にお任せで、好き勝手にさせてしまう」という今のやり方には反対である。

 改善策として、不適切なリーダーを国民の手で即座に引きずり下ろせる強力な解職制度や、候補者の資質を厳格に審査する仕組みが考えられる。「選ばれたから何をしても許される」という増長を許さない、厳しい監視とルールがあるシステムへ作り変えなければならない。

 この壊れた民主主義を一度解体し、理性が機能する仕組みへと再構築すること。それこそが、私たちの社会が正気を保つための、唯一の現実的な防衛策だと考える。