学校でいじめが起きると、世論は一斉に学校や教師を「悪者」として非難する。しかし、他人をいじめるような性質を子供に植え付けたのは、果たして学校だろうか。もし学校がそのような教育を行っているのなら、より多くの子供がいじめに加担しているはずである。当然のことながら、子供の人格形成の基盤は家庭にあり、その責任は一義的に保護者にあると言わざるを得ない。
長年かけて形成された性格は、学校や教師が短期間で修正できるものではない。他者への思いやりや道徳心を育むのも教育の役割だが、家庭での教育不足を学校だけで補うには限界がある。性格が強固で改善しにくいケースも少なくない。それにもかかわらず、いじめが発覚すればマスコミや一般市民は学校を「極悪人」のように糾弾する。現場や子供の実態を全く知らない情報番組の司会者やコメンテーターたちは、教育問題の話題になると、嬉々として学校や教員を攻撃し、自己満足に浸っている。みんなでやれば怖くないということなのだろうか。これこそいじめの構造である。その一方で、いじめる子に育てた当の保護者が話題にのぼることは一切ない。教員以外、誰も本気でいじめをなくそうなどとは思っていないようにさえ見える。
昨今の保護者の態度は、かつての「先生、よろしくお願いします」という信頼関係に基づいたものではなくなっている。一部の保護者は「自分たちが学校を動かしている」と自慢し、意に沿わなければ「教育委員会やマスコミに訴える」という脅しさえ見せる。こうした親の姿勢は子供にも伝わり、教師への反抗的な態度を助長させ、さらなる悪循環を招く。親自身が他者をからかうような人格に育てておきながら、自らの責任を棚に上げて学校のみを責め立てる。これでは、いじめ問題の根本的な解決など望めない。重要なのは、家庭教育力の向上(親の学びや親への教育)なのだが・・・。食べ物を与え、体を大きくすることだけが、子供を育てることではない。
こうした過酷な対人関係に加え、教師の労働環境はもはや限界に達している。残業代が出ないまま夜9時頃まで働き、帰宅後も深夜1時頃まで明日の授業の準備や学年・学級だよりの作成に追われる。朝7時に出勤し、休憩時間も惜しんで採点や宿題チェックをこなし、トイレに行く時間すら授業中に捻出する有様だ。年休も消化できず、週末も平日の残務に費やされると聞く。
最近では「働き方改革」の影響で、管理職が夕方6時に教員全員の退勤を命じるケースもあるという。しかし、仕事量が変わらないまま学校から追い出されれば、教員は大量の資料や指導書、教材などを抱えて自宅で作業する羽目になるだけである。担任にとっては迷惑以外の何物でもない。
真に働き方改革を断行したいのであれば、仕事量そのものを減らすしかない。文部科学省が主導し、研修や校内研究、会議、行事、保護者対応、その他どこから来るのかわからない児童へのアンケートや調査等々の終わりのない事務作業を半分以下に減らすと断行しない限り、現場の環境が変わることはないだろう。
教員採用試験の倍率低下が深刻な問題になっているが、大学生はこうした過酷な実態を冷静に見極めている。これほどまでに心身を削り、私生活を犠牲にする仕事を、誰が進んで目指すだろうか。人は働くために生まれてきたのではない。教育現場の異常な実態が改善されない限り、未来を担う教師は消えていくばかりである。