「すみませんでした」や「謝罪いたします」という言葉は、それ自体が責任を取ったことにはならない。これらは、これから責任を取りますという「意思表明」や「宣言」に過ぎない。しかし、それを口にしただけで済ませようとするケースが非常に多い。謝罪の言葉など、簡単にいくらでも言える。そこに意味はない。あえて言うなら、それで済ます人や企業は、同じことを何度でも繰り返す。味を覚えたらやめられなくなるのが当然だ。
本来、謝罪とは「自らの非を認める行為」に留まるものであり、その先にある原状回復や損害賠償、処罰といった「責任」とは別物である。政治家や企業のトップが謝罪の言葉だけで幕引きを図ろうとするのは、本来必要な「原状回復」や「ペナルティ」のプロセスを不当に無視した状態と言わざるを得ない。
こうした不誠実な対応が社会全体で通用している現状は、まさに「『ごめん』で済むなら警察はいらない」という格言を体現している。
子供の喧嘩や街中で肩が触れた際に「ごめんなさい」などの謝罪のみで済ませることもあるが、事象が軽微ゆえの時間や労力の省略化、円滑な関係の維持といった「社会的コストの削減」に過ぎない。本来は不適切であっても、便宜上「非の所在がはっきりしただけで終わり」ということにしているのである。
しかし、大きな責任を負うべき立場の人間が、この簡易的な論理を悪用し、宣言の言葉だけで責任を回避しようとするのは極めて不誠実であり、まさに「やるやる詐欺」である。