日本が今、向き合わなければならない「問題」とは、正義の味方のふりをして日本を利用し続けるアメリカと、理屈の通じない執念を持つ近隣諸国の存在である。これまでの「アメリカが守ってくれる」「話し合えばわかる」という甘い考えは、すべて捨て去る時が来ている。
まず、私たちが頼りにしているアメリカという国は、世界で最も「うわて」で、ある意味で最も狡猾な国である。彼らは「自由」や「民主主義」というきれいな言葉を使いながら、西側諸国のふりをしていい子ぶってきたが、ウクライナやイランで見せたように、自分たちが損をすると分かれば、すぐに見捨てる。同盟国である日本が中国に攻められた場合でも、途中でさっさと手を引くだろう。西側諸国を都合よく利用して今の地位を築いたアメリカは、決して「無償の愛」で日本を守っているわけではない。
一方で、隣の中国という国は、私たちの常識や損得勘定が通じない相手である。彼らは「メンツ」や「歴史的なプライド」のためなら、多少の犠牲を払ってでも目的を果たそうとする性質を持っている。そんな相手に対して、アメリカに頼り切った中途半端な武器を並べることは、かえって相手を怒らせ、日本を自滅に導く引き金になりかねない。
結局、日本に残された道は二つに一つしかない。一つは、相手に「日本を攻撃したら自分たちもタダでは済まない」と本気で思わせる「自分たちの牙(核ミサイル)」を持つことである。核を持つ国は世界中にいくつもあり、それを持つことは、実はそれほど特別なことではない。持っている国が「自分たちだけが有利に立ちたい」から大騒ぎして反対しているだけのことである。核を持っている国が侵略を受けた歴史はないし、核を持ったまま戦争で降参するということもあり得ない。だから、戦争にはならない。もう一つの道は、戦うことを諦めて、他国の言いなりになる「属国」として生きることである。
ぬるま湯の温度が少しずつ上がり、気づいた時には逃げ出せなくなっている「茹でガエル」のように、私たちは今、静かに、しかし確実に自由を奪われつつある。このまま「なんとかなるだろう」と変化を拒み、袋小路に迷い込むのを待つくらいなら、たとえ険しい道であっても、自らの足で立つ「生き残るための賭け」に出ることも考える必要がある。
核を持つことは、決して世界を壊すための暴力ではない。核が使われることは現実にはない。世界が終わるからである。誰にも、どこの国にも、自分たちの未来を好き勝手にさせないための、最低限の「拒絶の力」に過ぎない。この現実を直視し、自立する覚悟を決めた時、初めて日本は「利用されるだけの駒」から脱却し、真の独立を手に入れることができる。私たちは今、歴史的な決断の瀬戸際に立たされている。
日本はあわててヨーロッパ諸国とのつながりも深めているが、日本と中国が戦争になったとき、遠いヨーロッパ諸国が本気で(中国に勝てるくらいの武力を持って)日本を守りにやって来て、命を懸けるだろうか。誰でも、最後は自分が大事なのである。当たり前の話だ。
日本には、期待や願望で行動するではなく、冷静な判断に基づいた行動が求められる。