もう一つの視点

真理は少数から始まる

自分の言葉で言えない日本の政治家

熊本での大地震を受けて非常災害対策本部が設置され、高市首相が用意された原稿を読み上げていた。その様子を見て、原稿をそのまま読むだけであれば、首相本人が読み上げる必要があるのだろうかと感じた。原稿を書いたのが誰かは分からないが、その執筆者や、聞き取りやすく伝えることに長けたアナウンサーが代読しても、実務上は支障がないようにも思える。

広島の平和記念式典では、小学生が数分間、原稿を見ることなく参列者のほうを見ながら堂々と話していた。その後、首相は終始原稿を読み上げていた。今では小学生でも全校児童の前で原稿を見ずに発表する機会は珍しくない。聞き手を見ずに下手に読み続けるくらいなら、いっそ代読という方法もあってよいのではないだろうか。

「首相が話すからこそ説得力がある」という考え方もあるだろう。しかし、他人が書いた原稿を首相が終始たどたどしく音読するよりも、内容を正確かつ表現力豊かに伝えられる人が読んだほうが、かえって伝わりやすく、説得力も増す場合がある。

また、首相の睡眠時間は3時間ほどだとされている。しかし、不要な業務や非効率な作業は見直し、十分な睡眠時間を確保すべきであろう。大規模災害が続いたり、ほかの緊急事態が発生したりして、数日間ほとんど眠れない状況になれば、判断力が低下するおそれがある。国を預かり、常に的確な判断が求められる立場だからこそ、日頃から少なくとも5時間以上の睡眠は確保したほうがよい。

首相の話力や表現力が劣るのであれば、馬車馬のように働いて何でも自分でやってしまうのではなく、自身の得意分野で力を発揮すればよい。

誠意外交の代償―日本が学ぶべき国際政治の現実

 戦後の日本は、「誠意を尽くし、謝罪を重ねれば、いつかは相手も理解してくれる」というムラ社会的な精神論で中国や韓国との関係を続けてきた。日本は何度も謝罪し、資金や技術を提供し、関係改善のために努力してきた。しかし、日本が期待したような相互理解は成立せず、むしろその誠意は都合よく利用されてきた。反日教育や知的財産の流出、不公平な競争環境など、日本側が不利益を受ける「恩を仇で返される」状況が続いてきた。

 この長年の対中・対韓政策によって、日本は経済的な利益を得た一方で、安全保障上のリスクも抱えることになった。中国との経済関係は深まったが、その裏で進む政治的・軍事的な動きに対して、日本は十分な備えをしてこなかった。

 現在、日本は外交姿勢の見直しを迫られている。トランプのような現実主義的な政治家は、同盟関係であっても、相手国が何を提供し、どれだけ負担しているのかを重視する。

 トランプは、日本がアメリカの安全保障に守られる一方で、中国への経済依存を深めてきたことについて、どのように向き合うのかを問うている。問題は外国と貿易することではなく、対立が起きた時に国家が揺らぐほど特定の国に依存してよいのかという点である。これまで日本は、経済的利益を優先し、安全保障上のリスクへの対応を後回しにしてきた。しかし国際情勢が大きく変化する中で、こうした曖昧な外交は通用しなくなっている。

 中韓との関係で、利用され続けてきた日本は、今度はアメリカからも外交戦略の弱さを問われている。相手の善意を期待するのではなく、自国の利益と安全を基準に外交を組み立てなければならない。

 政治家は、能力や専門性の高い人物が選ばれるわけではない。情報が偏りがちで感情を重視する一般市民による選挙で選ばれる以上、政治家が外交や国政で誤った判断をすることは自然な側面もある。しかし官僚は違う。国家を長期的に支える役割を担い、試験によって選抜された専門家である。それにもかかわらず、日本の官僚は、決められた仕事を処理する能力には優れていても、中・長期的な戦略を描く力には疑問が残る。

 国内の政治や経済であれば、失敗しても致命的な被害には至らず、修正の余地も残されている。しかし外交の失敗は、安全保障や経済基盤など、国家の根本に関わる。取り返しがつかなくなる。

 高市首相の仲良し外交(誠意外交)も、トランプ氏に「日本はアメリカを助けてくれなかった」と言わしめたように、実質的な効果を持たない。カモフラージュにしかならずに危険である。相手の真意や実態が見えにくくなり、こちらの戦略を誤りやすくさせる。安倍氏が北方領土交渉で完敗したのも、まさにこのパターンだ。安倍氏は、長期間にわたりプーチンの掌の上で転がされて終わった。プーチンは百戦錬磨のつわものであり、安倍氏は人のいい素人であった。

 相手国が日本の誠意に応える保証はなく、むしろ日本の誠意が弱さと映り、格好の餌食になりやすいのである。世界は自国ファーストの現実主義で動いており、日本の頭だけがお花畑のように感じられてしまう。

 日本は、そろそろ本気で外交姿勢を改めなければ、将来さらに大きな代償を払うことになるだろう。食い尽くされてからでは、復活は難しい。

アメリカ・イラン戦争-日本の外交力を問う

 日本の外交能力の欠如は、目を覆いたくなるほど深刻である。長年、米国とイランの双方と友好関係を維持してきた日本は、本来なら今回の衝突でも主導的な仲介役を果たすべき立場にある。しかし、現実に交渉を動かしているのはパキスタンやトルコであり、日本はただ事後報告を「支持」するだけの観客に過ぎない。

 この無力さの根源は、自国の国益すら守れない交渉力の低さにある。北方領土を奪われ、近隣諸国との懸案も放置したまま、米国の言いなりに巨額の資金を出すだけの姿勢では、国際社会で相手にされるはずがない。

 会談の場で自分の言葉を持たず、用意された紙を読み上げるだけのリーダーに、死に物狂いの当事国を説得する力などない。国内向けの甘い論理は通用せず、論理破綻した「お役所外交」を続ける限り、日本が国際紛争の仲介という重責を担うことは能力的に不可能だと言わざるを得ない。

100年の呪縛ー敗戦の瞬間に決められた日本の運命

 トランプ大統領は一見すると異質で、独善的な人物のように映る。しかし彼は、アメリカという国が抱える本質を、単に素直に表現しているだけではないだろうか。巧みな外交辞令で親友のように振る舞ってきた歴代の大統領たちよりも、ある意味では裏表のない誠実な人物とも言える。

 アメリカが日本をどう見ているかという「本当のところ」は、時代や大統領によって表現こそ変われど、その本質は変わらない。日本は彼らにとって「太平洋における不沈空母(最強の拠点)」であり、「自国の戦略を支える世界最高の補助エンジン」に過ぎないのではないか。

 日本列島は、中国やロシアが太平洋へ進出するのを防ぐ「防波堤」として絶好の位置にある。この地をコントロール下に置く限り、アメリカは太平洋の覇権を維持できる。結果として日本は、アメリカにとって「世界で最も信頼でき、かつ最も都合よく使い倒せる高機能な従属国」という立場に甘んじているように思えてならない。

 残念ながら、アメリカは日本を「対等なパートナー」とは見ていないだろう。彼らにとっての日本とは、「自国の生存と繁栄を支えるために、極めて優秀で、かつ決して逆らわないよう調整された最高の道具(ツール)」なのだ。これが、安全保障の裏側に隠された、あまりに冷徹な本音ではないだろうか。

 第二次世界大戦で日本がアメリカに負けた時、いや日本がアメリカに戦争を仕掛けたその時に、百年の先まで日本の運命は決まってしまった。

安全保障と日本の選択

 日本が今、向き合わなければならない「問題」とは、正義の味方のふりをして日本を利用し続けるアメリカと、理屈の通じない執念を持つ近隣諸国の存在である。これまでの「アメリカが守ってくれる」「話し合えばわかる」という甘い考えは、すべて捨て去る時が来ている。

 まず、私たちが頼りにしているアメリカという国は、世界で最も「うわて」で、ある意味で最も狡猾な国である。彼らは「自由」や「民主主義」というきれいな言葉を使いながら、西側諸国のふりをしていい子ぶってきたが、ウクライナやイランで見せたように、自分たちが損をすると分かれば、すぐに見捨てる。同盟国である日本が中国に攻められた場合でも、途中でさっさと手を引くだろう。西側諸国を都合よく利用して今の地位を築いたアメリカは、決して「無償の愛」で日本を守っているわけではない。

 一方で、隣の中国という国は、私たちの常識や損得勘定が通じない相手である。彼らは「メンツ」や「歴史的なプライド」のためなら、多少の犠牲を払ってでも目的を果たそうとする性質を持っている。そんな相手に対して、アメリカに頼り切った中途半端な武器を並べることは、かえって相手を怒らせ、日本を自滅に導く引き金になりかねない。

 結局、日本に残された道は二つに一つしかない。一つは、相手に「日本を攻撃したら自分たちもタダでは済まない」と本気で思わせる「自分たちの牙(核ミサイル)」を持つことである。核を持つ国は世界中にいくつもあり、それを持つことは、実はそれほど特別なことではない。持っている国が「自分たちだけが有利に立ちたい」から大騒ぎして反対しているだけのことである。核を持っている国が侵略を受けた歴史はないし、核を持ったまま戦争で降参するということもあり得ない。だから、戦争にはならない。もう一つの道は、戦うことを諦めて、他国の言いなりになる「属国」として生きることである。

 ぬるま湯の温度が少しずつ上がり、気づいた時には逃げ出せなくなっている「茹でガエル」のように、私たちは今、静かに、しかし確実に自由を奪われつつある。このまま「なんとかなるだろう」と変化を拒み、袋小路に迷い込むのを待つくらいなら、たとえ険しい道であっても、自らの足で立つ「生き残るための賭け」に出ることも考える必要がある。

 核を持つことは、決して世界を壊すための暴力ではない。核が使われることは現実にはない。世界が終わるからである。誰にも、どこの国にも、自分たちの未来を好き勝手にさせないための、最低限の「拒絶の力」に過ぎない。この現実を直視し、自立する覚悟を決めた時、初めて日本は「利用されるだけの駒」から脱却し、真の独立を手に入れることができる。私たちは今、歴史的な決断の瀬戸際に立たされている。

 日本はあわててヨーロッパ諸国とのつながりも深めているが、日本と中国が戦争になったとき、遠いヨーロッパ諸国が本気で(中国に勝てるくらいの武力を持って)日本を守りにやって来て、命を懸けるだろうか。誰でも、最後は自分が大事なのである。当たり前の話だ。

 日本には、期待や願望で行動するではなく、冷静な判断に基づいた行動が求められる。